隼風之神社参拝記 番外篇:寺社参拝



梅ヶ渕観音


うめがふちかんのん




                所在地    鹿児島市伊敷町6550―5 


                宗 派     真言宗


                H  P    




 鹿児島市下伊敷にある、梅ヶ渕観音です。

正式な名称は『名突山 梅ヶ渕観音院』真言宗の寺院です。参拝した時にどうしてもこちらの『観音堂』にもいってみたい衝動にかられすぐに車をとばしました。実はここは私の出身地の近くであり、幼少のころ母親に連れてきてもらった記憶がありました。当時の記憶からするとかなり山の上にある印象でしたが思ったほどの険しさはなく難なくたどり着きました。断崖の岩に見事に彫られた観音様。微笑したお顔がなんとも言えず麗しく感じられます。まさに女神様でしょうか?







 下の駐車場からなだらかな坂を約200mほど上がると観音堂です。お百度の願掛けの為の石柱が参道階段の上下にありステンレスの数え札がついておりお参りの度にそれをくっていきます。右下は線香立てと大きなおリンがあります。「鐘はやさしく鳴らしてください!!」
と注意書きありました。





磨崖仏観音(まがいぶつかんのん)



  

 磨崖仏(まがいぶつ)は、そそり立つ岩壁や岩壁を龕状に彫った内側に刻まれるなど、自然の岩壁や露岩、あるいは転石に造立された仏像を指す。切り出された石を素材に造立された石仏(独立石仏)は移動することが可能であるが、磨崖仏は自然の岩壁などに造立されているため移動す  ることができない。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



梅ヶ渕観音

  

  この石仏は一説には岩永三五郎(いわながさんごろう)の作といわれています。
 
  三五郎は江戸末期に薩摩・肥後などで活躍した優れた石工でした。
 鹿児島市内を流れる「甲突川」(こうつきかわ)にかかる甲突川五石橋こうつきがわごせっ きょうー上流から玉江橋、新上橋、西田橋、高麗橋、武之橋。一部は1993年(平成5年) 8月6日の水害により新上橋と武之橋が流失。他の三橋はその文化的価値から今後の損失を恐 れた行政が賛否両論あったものの2000年(平成12年)鹿児島市の石橋記念館に移設)の 製作にかかわりました。

  この、観音様は甲突川上の小高い丘の上にあります。

 甲突川にかかる橋の建造の途中に立ち寄って彫られたものでしょうか?


 お堂の拝殿です。この窓から石仏『梅ヶ淵観音』様のお姿を拝む事が出来ます。






 この以前こちらを参拝しましたときに、このお堂を
お世話されている信徒の方からこの地名の由来に
ついて聞いた事があるのですが。

 昔、町人の娘で『お梅』と言うものがおり、ある若侍
と恋仲になったが身分の違いのことなどで結ばれる
事なく前途悲観した彼女は思い余って梅ヶ淵に身を
応じた。お堂の下を小さな瀧のある小川が流れてい
る。これが梅ヶ淵。

 このような悲恋話のもとこの地にはその『お梅』さ
んの名の地名が付いたようだ。このことの裏付けを
とろうとネットで調べましたが結局わからずじまいで
した。都市伝説なのかとも思いましたがそういえ
ば。。落語フリークの私は江戸落語の怪談話『真景
累ヶ淵』(しんけいかさねがふち)が思い出されまし
た。ちょっと前に「怪談」という映画にもなったあれで
す。シュチエーションは若干違うものの悲恋の上の
刃傷沙汰には違いない。あと、『淵』(渕)フチと言う
のも同じである。関係があるのか?謎であります。